院長エッセイ集 気ままに、あるがままに 本文へジャンプ


親バカ礼賛


 私は親バカである。しかも筋金入りだ。自嘲しているのではなく、自慢しているのだと思っていただきたい。

 春先から娘がフィギュアスケートを習いだした。きっかけは、お友達のフィギュアスケートの発表会に誘われたことである。予想以上にそのお友達が上手で、衣装もステキだったと興奮して帰宅した細君と娘は、その晩二人してインターネットショッピングサイトで、このコスチュームがいい、これはイマイチなどとすっかり「わたしも習っちゃう」モードで盛り上がっていた。もう小学校五年生でもあり、いまさら荒川静香や浅田真央になれるはずもなく、「フィギュアスケートって将来どうなのよ」と眉をひそめたものの、やはり娘はかわいいので習わせてあげることにした。
 数回に一回は、スケート場までの迎えを頼まれる。その日、いつも通り八時過ぎにスケート場に迎えに行くと、練習は終わったのだが仲間ともう少し滑っていたいとお願いされ、仕方なく暫く待つことにした。最初はスケート場の外で待っていたのだが、ガラス越しに娘の滑っているのがちらちらと見える。なかなか上手に滑っている。どれどれとスケート場に入ると、さすがに寒い。こちらは半袖に素足だ。しかし、届いたばかりの水色のコスチュームで楽しげに滑る姿に寒さを忘れた。「お父さん、これが出来るようになったよ。」時々私の近くに寄って来て、習いたてのテクニックを見せてくれる。「娘が一番上手なのでは?」とは、いくら親バカな私でも言えないくらいに他の生徒との間の技術の差は歴然なのだが、「上達速度は一番だろう。」とバカなことを考えている。すると私と同年配のお父さんが、自分の娘にいろいろとアドバイスしている光景が目に入ってきた。「自分はぜんぜん滑れないくせに〜。」とその娘が笑う。「見るのは上手なの!」お父さんが言う。私と五十歩百歩だ。でもほほえましい五十歩と百歩である。
 だから私は運動会が好きだ。自分の子供の競技や演技を見ることはもちろんのこと、そこに集う親バカの展覧会に参加するのが楽しいのである。一挙手一投足を逃すまいとビデオを構えるお父さん。声を嗄らして応援するお母さん。家族総出のお弁当時間。そんな人達に囲まれて幸せな気分になる。だが時々は腹が立つこともある。自分の子供のビデオを撮らんがために、撮影中の私の前にしゃしゃりでて、撮影をする人がいたり。我が子かわいさのあまり、他人の子供をけなす親がいたり。これは親バカではなく、バカ親だ。親バカとバカ親、言葉は似ているが、全くの別物で、むしろ対極にあると言ってもいい。親バカを見るのは楽しいが、バカ親を見るのは不愉快だ。しかし、悲しいことにバカ親はいたる所にあまねく存在する。エスカレーター付近でふざけて遊ぶ子供たちがいると、私はすかさず注意する。まあたいていの場合は近くに親がいて、ばつが悪そうに「すみません。」(子供の手を引いて)「ほらだから言ったでしょう!」と言う。子供が悪いのであって親である自分は悪いと思っていない。最初の「すみません。」は子供の代わりに謝っているだけだ。ひどいときは、突然我が子を怒鳴りつける変なおじさん(不本意ながら私のこと)を睨み付けることさえある。このバカ親が!と私は思う。
 昨今、バカ親に類する人々が増えて、世の中がおかしくなってきている。子供を狙ったいたましい凶悪犯罪があとをたたない。あるいは民族や宗教が違うというだけでいとも簡単に命を奪ってしまう。皆がみな(庶民や指導者あるいは為政者)、自分の親バカぶりを楽しみ、他人の親バカぶりを尊重することが出来るような人々であれば、凶悪犯罪・無差別テロなんて起きようがない。愚にもつかない戦争を繰り返すこともないだろう。人は誰しも、愛し愛される家族がいるのだから。家族の絆・愛情を超えてまで、執着すべき欲望があるだろうか? 守るべき戒律やイデオロギー、宗教や民族・国家があるのだろうか? 私は天下国家を論ずる器ではない。日々の家族の愛情のやりとりや些細な感情で、すぐにいっぱいになってしまう小さな器である。世の中の多くの人がその小さな器を大切なもので満たそうと、毎日毎日を懸命に生きている。その小さな器を守れずして、あるいは犠牲にして、何が天下国家なのだろう?

マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 
身捨つるほどの 祖国はありや    寺山修司

 身捨つるほどの祖国なんてないから、忠誠心・愛国心なんていらない。自由に暮らそうという安直な歌ではない。もしそういう祖国があるのなら、どういう国家なのだろうか?マッチを擦るつかの間の光芒では漠として見えてこない身捨つるほどの祖国よ。そんな祖国がこれまであったのか、そしてこれから存在しうるものなのか。これは詩人の渾身の問いかけだ。しかし詩人でもない単なる親バカな私はこう歌う。

マッチ擦る つかのま茶の間に 寄り添って
嵐の夜も 灯下の笑顔        吉川朝昭

 時計を見ると九時を過ぎていた。「お父さん、もう十分滑ったから帰ろう。」やっと娘がスケートリンクから上がってきた。「もう、長いんだから。」少し口をとがらすが、かわいい娘の滑る姿を見て気分は上々だ。駐車場までの道すがら、娘が私の肘のあたりに手を置いて言った。「お父さん、寒くなかった? 長いこと待っててくれて、ありがとね。」冷たい手のひらだったが、伝わってくるものは暖かかった。じわっとこみ上げて来るものを、鼻をすすってごまかした。これだから親バカはやめられない。


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